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和解の始まり 創世記42章18~38節
「父ヤコブは言った。『おまえたちは、すでに私に子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンまで取ろうとしている。こんなことがみな、私に降りかかったのだ。』ルベンは父に言った。『もし私がこの弟をあなたのもとに連れ帰らなかったら、私の二人の子を殺してもかまいません。彼を私に任せてください。この私が彼をあなたのもとに連れ戻します。』・・」 創世記42:36、37
この42章の要約です。
今までのこの物語の流れの中で、それを理解してからでないと、42章はわかりにくいかもしれませんね。少し今までの復習をしましょう。
(42:1~5節)
約束の地に飢饉がありました。今までも何回かあったのです。アブラハムの時にもありました(12:10節)。イサクの時にもありました(26:1節)。そして、今ヤコブの時代にも同じ様な事が起こったのでした。ある意味で、この様な試みは繰り返されるのかも知れません。今日(こんにち)でも、近年では、1976年のエボラ出血熱、81年のエイズウイルス、97年の鳥インフルエンザ、2002年のサ-ズ、09年の新型インフルエンザ、等々・・。更に異常気象、温暖化など後を経ちません。私たちがこの地上を生きている限りこれからも繰り返されるのではないかと思われます。しかしです。
第1コリント10:13節「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
実は、ヤコブとその家族が、約束の地で飢饉に遭う前に、神様はあらかじめその避難場所[「脱出の道」を備えておられたのでした。それが「エジプト」であり「ヨセフ」でした。
(42:6~8節)
そのヨセフの所に、10人の兄弟たちは穀物を手に入れようとして、エジプトに下りました。ヨセフの前に出ました。地にひれ伏しました。ヨセフには彼らが誰かがすぐにわかりました。しかし、兄弟たちには目の前のヨセフのことは全くわかっていません。私たちが神様の前に出る時も同じです、神様は私たちのことをすでにご存知なお方なのです。
(42:9~17節)
----------- ヨセフが兄たちにとった厳しい態度 ----------
今はエジプトの総理大臣の地位にあるヨセフですが、子供の頃に見た夢の事を思い出しました。でもヨセフは彼らに厳しい事を言います。「お前たちはスパイだ。この国の隙(すき)をうかがいに来たのだろう。」そして、彼らの弁明を聞き入れず、ヨセフは3日間、兄弟たちを監獄に入れてしまいました。でも誤解しないでください。これは、決してヨセフが昔の恨みを晴らそうとしたのではありません。2つ位の理由があります。
その1は、兄弟たちが今どの様な人物になっているか、心の中を知りたかったのでしょう。
その2は、カナンの家族の様子を知りたかったのでしょう。特に弟のベニヤミンの事を・・。ヨセフは兄弟たちを表面的には荒々しく取り扱っている様に見えますが、その裏では実に配慮して彼らを大切に扱っているのでした。神様の摂理を行なう準備のために、ヨセフは知恵を尽くして行動をしているようですね。
それにしても、ヨセフさん、弟のベニヤミンに会いたかったのでしょうね。気持ちはよくわかります。
----------- 昔の、罪を思い出した ----------
さて、エジプトに来て不当な扱いを受けている時に、兄弟たちは互いに語り合いました。
その内容は、(21、22節、読む)
今、兄弟たちは、ヨセフから(兄たちはヨセフのことをまだ知らないのですが)「末の弟を連れて来るように」と言われた時に、やっと昔の罪を思い出しました。この事から教えられる事は、神様の前で犯した、たとえそれがどんな小さな罪でも、悔い改めていない罪は神様は全部覚えておられるということです。悔い改めない限り神様は、永遠にいつまでも覚えておられます。
罪は犯した当人が忘れていても、神は忘れておられません。
しかし、悔い改めるならば、どんなに大きな罪でも、許された罪になって、神様はきれいに忘れてくださいます。時は経ちましたが、兄たちはヨセフに対して行なった罪を今、自覚し始めたのでした。そして、非を認め始めたのです。
その様子はただちにヨセフの所に伝えられました。その時ヨセフは、24節「ヨセフは彼らから離れて、泣いた。」のでした。兄弟の間で静かに和解が動き出しました。
------------ シメオン捕らえられる ----------
しかし、その後シメオンが捕らえられました。他の兄弟たちは釈放されましたが「イスラエルの地に残されている末の弟(ベニヤミン)を連れて来るように」と命令されました。
さて、イスラエルの家に帰って来た兄弟たちは父ヤコブに、熱心に頼みました。「大変なことになりました。べニヤミンを連れてもう一度エジプトに行かせてください」しかし、ヤコブは頑として許しませんでした。 以上が42章の要約です。
------------ 神様の計画を悟ったヨセフ -------------
さて、42章から今回特に学びたい事は、歴史を支配しておられる神様の事です。
ヨセフはこれら一連の出来事の中に神様の臨在を恐ろしい位に感じていました。今、目の前で自分にひれ伏している兄たちを見て、ヨセフは以前見た夢がここにて実現していることに気づきます。彼は昔(20数年前)兄弟達の束が、自分の束を拝んでいる夢を見ました。創世記37:7「見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると、突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
その頃は、それをそのまま兄たちに告げて、彼らの反感を買いました。嫌われました。その結果、彼はエジプトに奴隷として売られてしまうのですが、不思議な神様の摂理によって、今エジプトで彼は権力者となっています。そこに食糧を求めて兄たちがやって来ます。そして、ヨセフとは知らずに、彼を伏し拝んだのです。見た夢が成就したのです。
神様のご計画はどんなに人間の側での妨げがあったとしても、必ず成就します。今ヨセフは生きておられる神様を、歴史を支配しておられる神様を体験しました。彼はこれらの出来事を通して心から神様を恐れました。神様の臨在に触れました。ヨセフは神の目で今の世界の現実を見ています。ですからこの様な厳粛な時に、兄達に対する憎しみなどが起こるはずがありません。
------------ 神様の計画を悟れなかったヤコブ ------------
ところが、神様の目で歴史を見る事の出来ない人、自分の目でしか、物事の現実を見れない人もいます。この様な人々にとって、しばしばその様な出来事は耐えられない災害の様にしか思われたでしょう。
今のヤコブがそうでした。彼は ①すでにヨセフを失っています。②更に、シメオンが捕らえられてしまいました。③そして今度は、ベニヤミンまでもが求められていると知ると、次の様に嘆かずにはいられませんでした。
(36節、読む)「・・・こんなことがみな、私に降りかかってきたのだ。」と悔やむばかりです。でも、これでは神様の御業は何も前進しません。
しかし、もし同じ問題を神様の目から見るならば、それはまた、大きな祝福への前進となるはずでした。私たちも、自分の物の見方(みかた)にしがみつかず、神様の目で物事を見ることのできる人になって欲しいと思います。そのためには、日々みことばに聞き、みことばに従う生活を積み重ねていかなければなりません。更に主の深い心を、深く知る者とされたいですね。目の前の現実を神様の目で、イエス様が見ておられるように、見つめたいですね。
それに、今回問題がこんなにこじれてしまったのは、そもそもヤコブが、自分の愛するベニヤミンを手元においていたからです。皆と一緒にエジプトへ送り出さなかったからです。全てはヤコブの子供たちへの偏愛が原因となっています。そして今も彼は38節「この子(ベニヤミン)は、おまえたちと一緒には行かせない・・」と頑張っているのです。ヤコブが砕かれるまでにもう少し時間が必要ですね。
------------- ヤコブのシメオンへの愛 --------------
さて繰り返しますが、カナンの地に帰って来た息子たちから、エジプトで起こったいろいろの事柄、出来事を聞かされたヤコブでしたが、今ヨセフについで、シメオンまでもいなくなった事を嘆いています。そして更に、やがてベニヤミンまでも奪われるのではないかと悲観に暮れています。
しかし、このヤコブの嘆きが、ヨセフを失くしたことであれ、又ベニヤミンを失うことへの恐れであったとしても、兄たちにとっては、シメオンに対する父の嘆きを聞いた事は、シメオンに対する父ヤコブの愛を知る機会となったのでした。「お父さんはレアの子のシメオンを愛している・・・。」誰もがそう感じたことでしょう。これは兄弟たちにとって、大きな慰めとなりました。
------------ ルベンの提案 ------------
父ヤコブのシメオンへの嘆きがきっかけとなって、ここで長男のルベンが素晴らしい提案をします(ルベンとシメオンの母親はレアです。レアはラケルの姉になります。)ルベンはベニヤミンを必ず、エジプトから連れ戻すことを約束します。又もしも失敗した場合は37節「・・私の二人の子を殺してもかまいません。・・・」(この発言には問題があるかも知れませんが・・)とまで言い切っているのです。ルベンのこれらの愛の行動は何がきっかけとなったのでしょうか? もちろん長子としての責任感もあったでしょう。でも、ここでは今、示された父ヤコブのシメオンに対する愛情を感じて彼はとてもうれしかったからです。
43章に入ると、同じ母レアから生まれたユダも又、やはり体を張って、ラケルから生まれたベニヤミンを守る事を提案するのです。
いずれにしてもこの様に、ラケルの子供のベニヤミンを、ラケルの子供ではない、レアの子供である他の兄弟たちが必死になって守ろうとしているのです。又、父をこれ以上悲しませまいと配慮しているのは、家族間の和解の第一歩でもありました。
最後に、1つのお話しをします。
父の学校、国際運動本部長キム・ソンムク師の著書「いいお父さんになるプロジェクト」の中でキム師は、いい父親になる方法のひとつは”愛を表現しなければならない”ことだと言っています。愛を表現する方法として次のように説明しました。
・第1に、「愛しているよ」と言うことです。繰り返し、繰り返し言うことです。ある調査では50パ-セント以上の青少年が「今でも本当に私を愛しているの?」と聞きたいそうです。
・第2は、祝福の祈りをしてあげることです。心から子供の幸せを願ってあげてください。
この気持ちは必ず)伝わります。
・第3は、抱きしめてあげることです。アメリカの調査では、家出した少女の90パ-セント以上が、父親との接触欠乏症でした。特に女の子は叱られると傷つきやすく、両親に本音を話さなくなります。そして男性の誘惑に簡単に負けてしまうことが多いのです。
・第4は、スマホなどでメ-ルを送ることです。メ-ルも対話の良き道具のひとつです。
以上、この4つを通して、子供たちは両親から愛情をたっぷりもらって、心も体も安定的で健全な発達をすることができます。子供への愛情が基本的な人格を成長させるのです。
今、ヤコブの心は子供たちみんなに向けられ始めたようですね。
(祈り) 私の家族の中で、いつも私が「平和をつくる者」でありますように!